ドイトモユキのブログ

僕が普段感じることや考え方、オススメの本、サッカー理論、持論、など自由に発信していこうと思います。

朝食 in イギリス

いつものようにiPhoneの爆音のアラームが鳴り響く。

 

 

 

イギリスに来て初めての朝だ。

 

 

 

雰囲気に酔っている僕は太陽が眩しくて目が開けられない朝をイメージしていたが、カーテンを開けると目の前に広がったのは曇り空。

 

 

イギリスは別名霧の国ともゆわれており曇りの日が多いらしい。(実際4日間の現地滞在だったが太陽を見たのは2時間だけだった)

 

 

 

 

朝食へ向かう。

部屋を出ると当たり前だが外国人ばかりで、

英語が飛び交っていた。

 

 

 

 

日本でぼくは毎朝YouTubeなどで英語の動画を検索し、聞き流しているが、歩いてるだけで僕の大好きなリアルな英語が聞こえてくるここは天国かとおもった。

 

 

 

 

朝食会場は地下だった。

1人席へ案内され入ると

皆美味しそうにTheイギリスの朝食みたいな飯を食らっていた。

メニューはケチャップビーンズ、目玉焼き、ベーコン、サラダ、などが綺麗に盛り付けされてて最高に美味そうだった。

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ジブリなどでみる一品一品が全てが光ってる感じだ。

 

 

 

 

バイキング形式じゃなかったので注文をゆうスタイルだと思った。

日本では普通水などが出てきてそこで注文をゆうパターンがほとんどだが、待っても待っても定員は無視だ。なにも話しかけてこない。

 

 

 

 

振り返って分かるが、海外には日本にある

暗黙の了解みたいなのがない。

 

 

 

日本だと店に入ると最初店員が喋りかけてくるのが普通だし、水が無くて困ってキョロキョロしてたらどうしましたか?と喋りかけてくれるのが普通だろう。

 

 

 

 

30分くらい座っていた。

僕より後にきた人達が先に食べ終わり去っていく。

 

 

 

イギリスのホテルの朝食会場でぼくはインキャと化していた。笑

 

 

 

 

ゆわないといけない。発言しないとわかってもらえない。

 

 

海外で活躍してる人のもっと深い話しやサッカーの主張の話しなどでよく耳にするこのフレーズ。

 

 

 

本当に些細な朝食の場面だが僕はここで何かを掴んだ。咄嗟に行動に移した。

 

 

「Sorry, Water please 」

水がすぐ出てきた。

 

 

隣の人がハウルの朝飯みたいな美味そうな飯を食べていたので、

指差して

同じ料理くれ!と言った。

 

 

すると店員は両手をあげて

「I don’t know 」と言った。

 

 

 

 

どうやら1人1人注文が違うくて目玉焼き何個でベーコン何枚でと言った具合に人によって細かく注文しているらしい。

 

 

 

お前はなにが欲しいんだ?と聞いてきた。

 

 

僕はめちゃくちゃ笑顔でこう言った。

「Egg and bacon please 」😋

 

 

 

 

 

 

 

 

5分後出てきたのはパーティなどで使われるめちゃくちゃでっかい皿に

目玉焼き1個とベーコン1枚だけ。

 

 

 

 

30秒で食い終わった。

 

 

 

 

 

朝食会場で30分何もしないで座ってキョロキョロし30秒で朝飯を食べ終わりその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

出口の手前で座っていたいかにも英国紳士なおじさんが30分なにもしゃべらず料理が来て30秒で食べ終わり出て行く姿を見てこう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Wow」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「朝食  inイギリス」終わり😚

 

カラフル inイギリス

震えた。

 

 

スタジアムの雰囲気、照明の照らし具合、見渡す限り外国人の感じたことのない熱狂、ピッチの濡れ具合、世界のトップレベルの選手が動く一歩一歩、食い入るように見た。

 

 

 

ウェンブリースタジアム

トッテナム対ウルブス、

セント・メリーズスタジアムで

マンチェスターシティ対サウサンプトン

の2試合を幸運なことに僕はスタジアム中央の最前列で試合を見ることができた。

ファンとしてではなくピッチに入ったイメージで試合を体感した。

 

 

俺がここいま入ったらどんな感じやろ?

 

ついていけるか?

 

シュート決めてこの死に物狂いの観客を熱狂させれるか?

 

もちろんいまの実力では厳しいだろう。

 

でも関係ない。

 

とにかくイメージする。鮮明に。

 

この貴重なイメージを持ち帰って練習する。

 

 

僕は前にも書いたがイメージする力は誰にも負けない、自分の最大の武器だという自負がある。

どんな体の当て具合してるのか、寄せてくるDFのスピード感、止めてから蹴るのスピード感、首振る動作1つ、体の力の入れ具合、どんなプレーに観客が熱狂するのか、全てが僕の心の奥底に突き刺さった。

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僕はチームの冬オフ利用して1人イギリスへ飛び立った。

 

 

 

僕は人生で海外にいったことはない。

未知の領域だ。

 

 

 

性格上僕は自分がしたくないことはやらない、嫌なことは人に任せるといった特徴がある。

 

 

 

いつも人に頼ってばっかりなのだ。

 

 

だからこそ今回は1人にこだわった。

 

 

 

必ずハプニングや困ることは起こるだろう。

そこで自分1人、言葉も通じない異国でどういう風に対処して乗り越えて行くのか。

自分が知らない自分を知るための期待が膨らみ倒した。

 

 

 

あっという間の4日間だった。

振り返って出てくる言葉はこの一言だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

カッコ良すぎる。

全てが。

 

 

 

 

 

 

 

 

二言だ。

 

 

 

 

 

 

イギリスから日本へ帰ってきて1週間経つが、

あの時と変わらずドキドキ、ワクワクしている。

もう日常の全てを英語で過ごしたい気分だ。

この想いは僕の人生に色褪せることなく残り続けるだろう。

 

 

心底憧れた。

 

 

将来、いや、近い未来この地で日本人として必ず活躍する。勝手に決めた。決めきった。

 

 

 

やっぱりみんな口揃えてゆう

「海外に出たほうがいい」

という言葉には僕も心から賛成だ。

 

 

 

日本と海外の違いはよく聞くことがあると思うが、僕がどういう風に感じてどこが違うと思ったのかという具体例は後々アップしていこうとおもう。

 

 

 

僕が滞在したのは4日間という短い期間だが存分に入り込んだ。その世界に。

 

 

 

楽しかった。ワクワクした。毎朝起きるときのワクワク感がいますぐにでも思い出せる。

 

 

あらゆる場所、あらゆる瞬間、僕はニヤニヤしまくっていた。

24時間ニヤニヤした自信がある。

寝ているときもたぶんニヤニヤしていた。

 

 

 

僕は単純だ。

自分がカッコいいと思ったことに死ぬほど影響される。真似する。そして超えたいと心から思う。超える。そう決める。

 

 

 

ドラマで言えば「プライド」の里中ハル。

 

身近な存在で言えば神戸弘陵時代の同級生、京都外国語大学にいる児谷拓希。

 

 

里中ハルに関しては1話から最終話にでてくる主要なセリフはほぼ言える。

 

最高に憧れている。

 

 

 

児谷はアイルランドに約1年間の語学留学に行っていた。

その後浜松で会う機会があった。

海外での経験を意気揚々と、いや、僕にアピールするかのように喋り尽くしてきた。

そして1年足らずの留学で英語をペラペラにしゃべる児谷に会った時にこのままではダメだと心底思わせてくれた。

 

 

同い年で高校のチームメイトだが

カッコいいと素直に思った。

 

 

 

それから僕は自分の限られた空き時間は英語の勉強に大半を費やしている。

 

 

 

僕の空き時間の過ごし方がこれで合ってるのか自問自答するきっかけをくれた人だ。

 

 

 

そして日本でできない事は海外で出来ないということにも気づいた。

 

 

 

海外に行くから成功するんじゃない。

日本にいても出来ることは必ずある。

もっともっと成長できる。

限界はない。

 

 

 

ただ僕はみんなが到底無理だと思うようなとてつもなく大きな夢を持つ。

 

 

 

 

なぜか??

 

 

 

そっちの方が楽しいからだ。

ワクワクするからだ。

 

 

一気に自分の人生がカラフルになる。

日常が変わる。

 

 

4日間のイギリス一人旅だったが、

人生がさらに色濃くカラフルになった。

 

 

 

送り出してくれた両親、心配してくれたじいちゃんばぁちゃん、サポートしてくれた全ての人

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

他の誰でもない自分の人生を

僕はこれからも目一杯楽しむ!

 

 

読書

人間は自分1人の視点からでしか世の中を見れない。

 

 

 

 

だから柔らかい考え方がしたくても結局自分の考えが1番正しいという考え方になったり少ない知識の中で悩みもがき苦しむことになる。

 

 

 

 

でも今世の中はすごく早い。

みんなが知っているようなテクノロジーの発達によるAIの存在などだ。

僕は世の中に対する知識はまだまだ甘いが、

サッカーを例に出せば次から次へと生き物のようにサッカーは戦術は進化を遂げている。

 

 

 

 

最先端のヨーロッパのサッカーは雑誌で見る限りだが次から次へと進化している。

 

 

 

この変化に進化に対応できない人はサッカーに世の中の流れに置いていかれることになる。

 

 

 

 

僕は何事も今のままとどまること(安泰)

はなんだか気持ち悪い。

 

 

新しいことにチャレンジし続けたい。

僕の性格だろう。

 

 

 

 

だからこそ日々の自分の狭い考え方を変えていくために様々な角度からの視点、考え方が必要になってくる。

 

 

 

 

そこで僕の中で読書はすごく重要なウエイトを占めている。

 

 

本を読めばその著者の視点から世の中を擬似的に見ることができる。

 

 

 

 

僕は様々なジャンルの本に興味がある。

 

サッカーに限らずその人自身が得た考え方を常々自分のヒントにしている。

 

 

例えば中村俊輔の本を読むなら中村俊輔の視点からバーチャルゲームのように考え方を学ぶことが出来る。

 

 

 

 

もし1万冊読んだなら1万通りの視点を獲得できる。

 

 

 

 

自分1人の視点でしか世界を見れない人と1万通りの視点を持っている人どちらが楽しくよりスピーディーにワクワクと世界を眺めることができるだろうか。

 

 

 

本にはひとりの人間が人生を賭けて獲得した独自の視点や専門性が詰まっている。

 

 

 

 

 

それをたかだか数時間の読書で自分のものにできるのだからから、読書をしない手はないと僕は思う。

 

正解

僕はすべての判断をする時こう思う。

 

 

 

正解はない。

 

 

 

国語のテストを思い出してほしい。

 

 

 

Aの人物がこの時に思った事として適切なものを1〜4で選びなさい。

 

 

 

このような問題を今まで何問解いてて来ただろう。

 

 

はっきり言う。

 

 

 

 

Aの人物がこの時に思った事なんかAの人物にしかわからない。

 

 

 

Aがどんな環境で育ちどんな考え方を持ち時代の流れはどうで幼い頃に経験したことは何なのか、家庭環境、どんな性格をしているのかといった前提条件がはっきりしない。

 

 

 

分かっている。

その文章に書いてある範囲の前提条件でその人の気持ちはこうだろうと予想すればいいと。

 

 

 

でもそこで引っかかるのは「正解」があることだ。テストなのだから当たり前だろうと思う人がいるかもしれない。

 

 

 

 

 

でもこの形のテストを幼い頃から受けていると人間はどこか無意識に正解を探してしまうようになる。

 

 

 

 

この時こう思うのが正解かな?

この感じだとこう選ぶのが無難だろう。

 

 

 

 

人の判断に正解はない。

考えても考えても正解なんか誰にもわからない。

 

 

 

 

僕が考える正解の定義はこうだ。

 

 

 

 

その人自身が納得しているかどうか。

 

 

 

 

 

誰が決めたか分からない正解より自分の納得。

 

 

 

そんな行動が取り続けれるようになると、ほかの誰でもない、自分の自分だけの人生を生きる事ができる。

 

 

 

他の人から見れば失敗だな、あの時こうすれば良かったのにと思われようが関係ない。

 

 

 

その時に自分の頭で考えて自分の行動に責任を持ちとった行動こそが正解なのだ。

 

 

 

その判断をした結果どうなっても自分で責任は取らないといけない。
その覚悟がある人には自由がある。
自由があるから、人生を楽しめるし面白い事が思いつくし面白いことができる。

 

 

 

決して自分勝手に生きればいいということじゃない。

 

 

 

周りの支えがありサポートがあり人の助けを借り周囲の人に支えられながら生きていくのが人間だ。

 

 

 

みんないつもありがとう

もっともっと楽しんでいこう。

 

 

 

 

 

 

 

海外

僕はなにもわからない未知の世界に

無性のワクワクとドキドキを感じる。

 

 

 

 

今の僕にとっての未知の世界は海外だ。

 

 

 

僕は生まれて21年目だがまだ日本から出たことがない。

 

 

 

言葉も通じない、育ってきた環境も文化も考え方も当然違う、その人達と触れ合ってみたい。

 

 

 

海外の人はなにに幸せを感じて日々生きているのだろう、その国によって違うのだろうか?その人によって違うのだろうか?それとも意外と共通点があるんじゃないか?

 

 

これが海外に行ったことのない僕の素直な気持ちだ。

 

 

 

 

僕は1人でイギリスに行く。

 

単なる旅行だ。

しかし僕にしかできない経験、行動を起こし、絶対何かを得て帰って来る。

楽しみにしててほしい。

 

 

1ヶ月前貯金を全部叩いてイギリスに行こうと突然思い立った。

動機は、楽しそう、ワクワクするという2つだけだ。

 

 

僕の周りにはサッカーの上手いやつがたくさんいる。彼らはチームの遠征や、どんな形であれなんらかの機会で海外でサッカーをするチャンスをもらっている。

 

 

でも僕は違う。そんな機会全くなかった。

僕のサッカー人生に海外の匂いすらなかった。頭の中で少ない情報で必死にイメージしてトレーニングするしかなかった。

 

でも今は自分が行動を起こしさえすればそれに繋がる世の中になった。現代はなんてたのしいのだろう。

 

 

現代は情報に溢れている。気になる事があれば検索をかければ5秒後には解決するのがほとんどだ。

 

 

情報を入れる、いや、浴びる。

 

 

自分に必要な情報かどうかなんか考えなくていい。ただひたすらに興味があること、面白いとおもったことを調べればいい。

 

 

 

その自分の中に入った情報、知識が線になりアイデアが生まれ、目標達成の鍵となる欠かせないピースになる。

 

 

 

甘い。

毎日自分に対して感じる感情だ。

 

 

その甘さが一瞬で絶望に繋がるその世界を見てみたい。もっともっと追い込まれたい。

 

 

その追い込まれた状態で何を思いつきどんな行動に出るのか自分が楽しみで仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

海外で気をつけた方がいいこと、イギリスオススメの場所などなど親切な人教えてください!笑

 

 

 

僕のおじいちゃん

少し堅めの読んでいても書いていても疲れそうな内容ばかりだったので息抜きを。

 

 

 

 

僕のおじいちゃん

 

 

 

 

 

小学生の日記みたいだが

読んでもらえると嬉しい。

 

僕のおじいちゃんは非常に負けず嫌いだ。

 

そして男としてのプライドを持っている。

 

 

 

 

僕は小さい頃からサッカーで悔しい思いや、うまくいかないことがある度におじいちゃんに言われる言葉がある。

 

 

 

「相手がどんなにうまくて強くてもおんなじ人間やから気持ちで負けたあかんぞ」

 

 

 

僕は同じことを何回もゆってくるおじいちゃんに対しはいはいと聞き流していた。

 

 

 

「じいちゃんはあの子のうまさ知らんから言えんねん」

 

 

 

言われる度こんな感じだった。

 

 

 

 

何を言われても素直に受け止めれず、言い訳をし口答えをする。目の前の現実から逃げ、ムカつくという感情だけが先走り、物に当たる。

いわゆる反抗期というやつだ。

 

 

 

 

でも、ずっと勝てなかった僕よりうまいやつと1対1のトレーニングをする時に、普段なら少し気持ちが弱る自分が、なぜかふと「おんなじ人間やろ、負けへんねん」といつの日かおじいちゃんに言われた言葉を胸に強く決心していた自分がいたのだ。

 

 

 

 

話しを聞いている時は、わかってるって何回ゆうねんと聞いている僕だが、

なぜかいつのまにかおじいちゃんの言葉は僕の脳にこびりついて、

無意識にそして自分から進んで意識しまくってしまうのだ。

僕のおじいちゃんの言葉にはすごく不思議なパワーがある。

 

 

 

他にも、

 

 

「風邪引くなよ、あったかくして寝ーよ」

 

「家出掛けるときはコタツのコンセント必ず抜けよ、火事なるからな」

 

「人が休んでるときお前も休んどったらあかんぞ。人が休んでる時にお前は頑張らなあかん」

 

「友達がおって支えてくれるお父さんお母さんがおってのお前やからな、独りよがりなったらあかん、仲間信じてやるんやで」

 

 

 

この4つの言葉は各30セットは言われただろう。笑

 

 

 

でもすごく僕には響く。なによりもストレートでおじいちゃんが本当に伝えたいことという気持ちがひしひしと伝わってくる。

 

 

 

 

たまにおじいちゃんから電話がある。

 

おじいちゃん

「なんかいるもんあったら言えよ!送ったるで」

 

ウイダーほしい!」

 

おじいちゃん

「ういだーって、、なんやそれは。どうゆうことや。どういうやつや」

 

「エネルギーゼリー!パックのやつ!」

 

おじいちゃん

「えねるぎーか、それは一体何や。パックってなんやそれは。エネルギーってやつを買ったらええんか?」

 

 

僕が送って欲しいものが少しカタカナ言葉だと、なんのことを言っているのかわからなくて心からビックリして少し怒る。笑

 

 

 

可愛い。

 

 

 

僕はこんなおじいちゃんが大好きだ。

 

 

 

 

 

満員のスタジアムでプレーし、活躍している姿を、おじいちゃんに見せることが僕の目標だ。

 

 

 

 

 

 

 

みんなも誰かから言われた何気ない一言が自分の中心部に居続けてその言葉が原動力になっている経験は恐らくしたことがあるだろう。

 

その言葉はひと時の助けではない。
長いスパンで自分を助けてくれる、いい方向に導いてくれる言葉だ。

 

 

 

その言葉を大事にして生きていくことは

必ず自分のプラスになるだろう。

 

 

 

こんなワクワクする世界を知らずに死ねるか

 

みんなは楽しくて集中していて気付いたら夜だった。

なんてことは経験したことがあるだろうか?

何にも考えずその自分がしている物事に集中しきっている。そんな状態だ。

 

 

 

突然だが、

僕は高校時代好きな人がいた。
高校時代の僕を知る人なら知っているだろう。
自分でも経験したことのない感情だった。

 

とにかく好きだった、笑えるくらいに。

告白してはフラれ

告白してはフラれ

の繰り返し笑

でも自分の気持ちに嘘をつきたくなかった。

 

 


そしてその気持ちをすべて行動に表した。

 

 

今振り返っても自分のとった行動に後悔はないし、本当に好きという感情に向き合っていた。

 

 

本当に好きになると不思議なもので、

相手に何も求めなくなる。

 

 

 

 

これと同じだ。

物事に関する 「好き」 という感情は。

 

 

 

僕はこの「好き」という感情に自分の人生で1度も逆らったことがない。

当たり前だろと思う人がいるかもしれない。

でもこれは実は意外にも難しいことだ。

 

 

 

人間には「好き」という感情がいたるところに必ず存在している。
異性でもスポーツでも物でも歌手でもなんでもいい。

 

 

 

力まなくていい。

「あー、これ好きだなぁ」とぼんやり思ったことは必ず自分の本心、心の声だ。

 

 

 

この心の声に従ってほしい、そこに考える、悩むといったブレーキは必要ない。

 

 

 

その自分の心の声に従い、行動する。

これは勇気を持ち周りの目を気にしない姿勢があれば何歳であっても可能だ。

 

 

 

 

僕はサッカーに恋をしている。
5歳の時サッカーと出会ってから現在21歳、

16年間サッカーにハマり続けている。

楽しすぎる感情は5歳の頃と変わっていないどころか増す一方だ。

 

 

 

頑張っている、努力しているという感情はただただ楽しいからやっているには勝てない。

 

 

 

堀江貴文ホリエモン)の言葉にこんな言葉がある。

 

 

 

 

周囲の人が引くくらい無我夢中になる。

それこそが「学び」だ。

 

 

こんなワクワクする世界を知らずに死ねるか。

新たな出会いがあるたびに僕はこう思う。

 

 

 

ワクワクが僕の人生に溢れている、いや埋まっているといったほうが正しいだろう。

だからその埋まっているものを掘り起こす作業(学び)の為の行動なら惜しまない。

 

 

 

 

だから僕はサッカーだけにとどまらない。

 

 

 

 

もっと大きくもっと広い視野で自分の「好き」

を突き詰めていく。周りは関係ない。自分だ。