正解
僕はすべての判断をする時こう思う。
正解はない。
国語のテストを思い出してほしい。
Aの人物がこの時に思った事として適切なものを1〜4で選びなさい。
このような問題を今まで何問解いてて来ただろう。
はっきり言う。
Aの人物がこの時に思った事なんかAの人物にしかわからない。
Aがどんな環境で育ちどんな考え方を持ち時代の流れはどうで幼い頃に経験したことは何なのか、家庭環境、どんな性格をしているのかといった前提条件がはっきりしない。
分かっている。
その文章に書いてある範囲の前提条件でその人の気持ちはこうだろうと予想すればいいと。
でもそこで引っかかるのは「正解」があることだ。テストなのだから当たり前だろうと思う人がいるかもしれない。
でもこの形のテストを幼い頃から受けていると人間はどこか無意識に正解を探してしまうようになる。
この時こう思うのが正解かな?
この感じだとこう選ぶのが無難だろう。
人の判断に正解はない。
考えても考えても正解なんか誰にもわからない。
僕が考える正解の定義はこうだ。
その人自身が納得しているかどうか。
誰が決めたか分からない正解より自分の納得。
そんな行動が取り続けれるようになると、ほかの誰でもない、自分の自分だけの人生を生きる事ができる。
他の人から見れば失敗だな、あの時こうすれば良かったのにと思われようが関係ない。
その時に自分の頭で考えて自分の行動に責任を持ちとった行動こそが正解なのだ。
その判断をした結果どうなっても自分で責任は取らないといけない。
その覚悟がある人には自由がある。
自由があるから、人生を楽しめるし面白い事が思いつくし面白いことができる。
決して自分勝手に生きればいいということじゃない。
周りの支えがありサポートがあり人の助けを借り周囲の人に支えられながら生きていくのが人間だ。
みんないつもありがとう
もっともっと楽しんでいこう。